論語に説く人物観察術 『視・観・察』

今週のベンチャー通信でSBI・CEOの北尾さんが人物観察法として論語の「視・観・察」を挙げられていました。
論語なんて受験時代の漢文以来まったくもって手をつけませんでしたが、ちょっとおもしろかったので調べてみました。
[原文]
子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉捜哉、人焉捜哉
[通釈]
「視」とはその人の行動を観察すること。
まずは外から見て判断できる部分から観察します。
「ヒトは見た目が9割」とは言いますが、人は見た目だけで大体判断できるという意味ではなく、性格や考えなどの人間性は外見にもにじみ出てくるということです。
「筋の通った行動をしているか?」
一番評価しやすく、わかりやすい部分かもしれません。
「観」とはその人の行動の動機を調べること。
次にその人がなぜ上記のような行動をしているか、を知ることです。
そこからその人の内面が見えてくるのではないでしょうか?
その人と話してみないとわからない部分ではありますが、情熱的に動機・夢を語る人って魅力的な人が多いですよね。
私が思うに、最近の若い人は動機がしっかりしていない、あるいは動機を語るということがあまり無いのかもしれません。
「なんでそんなことしてんの?」
私はもっと他の人の考えてることが知りたい。
この問いかけを大事にして人と接していきたいところです。
「察」とはその人がその行為に満足しているかどうかを知ること。
その人の終極の目的は何だったのかを考えてみる、と北尾さんはおっしゃっています。
「じゃあ、将来何になっていたい?」
と、最近私は友人に問いかけることが増えました。
何か今とは違う、次のアクションを起こしてほしい、あるいは掘り起こしたいためだから、なんて偉そうな理由ではないですが、今このことを知って考えるとそういったも考えもあったのかもしれません。
ただ、この部分は私含めて中々考えづらいところです。
他人に限らず自分でも再考していかなければならない問いなのではないでしょうか。
また、渋沢栄一もこのようなことを言っています。
人を職別せぬばならぬものだというのが、
孔夫子の遺訓である。
視も、観も共に「ミル」と読むが、
視は単に外形を肉眼によって見るだけのことで、
観の外形よりも更に立ち入ってその奥に進み、
肉眼のみならず心眼を開いて見ることである。
起業家の場合だと、特に観るということが大事だと北尾さんはおっしゃっています。
「なぜ起業したのか?」これが起業家にとって非常に重要なファクターとなります。
つまり志を持って起業したのか、という問いに帰結します。
野心と志は違う。
志は人のため。野心は所詮自分のためでしかない。
まだまだ会ったことのある人など少ない我々ですが、これから就活を控える大学生にとっても、企業を見て回る上で『観る』ことを怠ってはいけませんね。
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